西郷隆盛に学ぶ、敬天愛人フォーラム21

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西郷隆盛に学ぶ 『敬天愛人フォーラム21』
西郷隆盛
西郷隆盛と敬天愛人その教えを学ぶ
西郷隆盛を称えた先人

■ 西郷隆盛腹中の図

解説:この図は、昭和2年編集された西郷畫集の中にある。西郷翁が明治十年城山の露と消えてから、日本の英雄として語り継がれてきたが、50年の忌を記念して出版されたものの一つである。大正時代前後、一般庶民の西郷翁の認識と評価が良く分かる。

読み:

 俺の先祖はと言ってよく聞かれるが、それは紛れも無い菊池のながれじゃ。肥後の菊池神社は人も知る通り元弘三年後醍醐の船上山にお立籠りの際一族を提げて勤皇の義兵を挙げ北条英時と戦って「ふるさとは今宵ばかりの命ぞとしらでや人の吾を待つらん」という一首を遺して討ち死にした菊池武時を祀った社ぢゃ。この武時の子の武重武光武朝はみな父の志を継いで勤 皇の軍に死んだが殊に二子武光は懐良親王を輔けて雨のごとく降り来る箭の中を物ともせずに突進し着けた鎧の千切れ落ちるまで奮戦した勇猛無比の弓取りぢゃつた。この武光七世の孫を武盛といひ故あって薩摩に移り住んだがこれが初めて西郷を名乗ったのだ。それから数代を経た元禄年間島津家に仕え出だしたのが西郷九兵衛と言う人で更に九代を経て父の西郷吉兵衛と言う順序となるのぢゃ。父は勘定方小頭という役だから藩では家格も卑いし身分も高い方ぢゃない。だが極めて同情の深い円満な質で何事にも忠実で熱心であったから身分の割合に藩のおもだった人の信用は厚かった。母は島津家の家令椎原国幹の姉で子供を立派な武士に仕立てるというほか小事にはあまり気を病まぬ人であった。俺は父の清廉潔白と母の鷹揚な女らしさとには親ながら今でも深く感心しているのじゃ。

  俺は兄弟七人で男四人女三人じゃ。長男が俺で次弟は吉次朗だ。吉次朗は顔かたちも性質も俺にそっくりだといわれたが、おしいことに戊辰の役に出陣して越後口の戦に死んでしまった。何事も俺の役に立とうと思って貧乏所帯を引き受けて身を粉にして働いてくれたから俺も家を留守にして国事に奔走することも出来たのじゃ。兄弟一番の人物ぢゃつたよ。苦労ばかりかけて早く死なして終って申し訳が無い。吉次朗を死なすくらいならこの俺が代わりに死ぬところぢゃつた。ああ、ああ世の中はままにならぬて。次の信吾は小さい時からなかなかの腕白じゃったがどこか独立の気象がみえた。とうとう官に居残って俺と立場は全く異なったがそれも巳む得ぬことじゃ。あのような胆の据わった者が主上のおそばに一人でもあるということは俺にとっても何ぼう嬉しいか知れなかった。俺がつい別様なことになったからさぞ肩身が狭いことぢゃろうが何事も運命とあきらめて一途に忠勤に励んでくれや。俺はただ政治の局に当たる人々を改めようと考えただけで外に何等の意がある訳ではなかったのだから必ずこの心中が天に通ずる時もあろう。世間の毀誉褒貶に気を揉まずに必ず必ず辛抱してくりやれ。末の弟の小兵衛も吉次朗に劣らぬ兄思いですこぶる機知に富んだ人物ぢゃつたがあの騒ぎで俺より早く死んでしまった。妹たちのことなど語る迄もないさ。あの騒ぎでお互いに 剣とって争ったが許より何の憎悪も怨恨もあるのでないから若い人たち今は冥土で顔を見合わせて何れも笑い興ずるばかりじゃ。その私をなげうってハラに殉ずる精神が頼もしいてしかし今後あの韓国がよしとなって大きな事件が日本に持ち上がるぢゃろうか。そればかりが心配ぢゃて皆さんしっかりお待(たのむ)んもす。

 

公(政府)私(私学校)引き合う中で大名、氏族、酔漢、売卜者、百姓、寡婦夫々の立場の思いが率直につずられている。

 

冥土より:(ゆかり無き道の長きをたどり来てありしながら照る日を仰ぐ)

私:(なんでもこっちのものにせねばならん。今までひくともうごかなんだがちっとばかりさあここだ。やっとのことで径路かけたから。公私とも大きなことに心を入れるからなかなかおもいことぢゃ)

大名:(俺らはおみにたたきつぶされてなんとも かつかぬ。土地も人民もとりあげられて知藩事などと言って見たところが    政府の月給取りそれさえ皆が皆とは許されぬ始末わずかばかりの金をたよりにらくなこまかな商法がないかといろいろと考えたあげくようよう思いついてはじめるとやれ開けんわの旧弊だのと言いかるし品はへっても金はあがらず。それでそれて  明だの智者だのと皆が言うのにとんと阿 のすか知れぬ)

公:(俺は一心に引っ張っているのに先方もさるもの引いたり引かれたりまだどっちともおおせいが力をそえて無理むたいに曲げようとしいるのでこんな苦しいことは無い。あんまり気張って苦しいので一時はこれまでかと思ったがどこまでもあきらめずにひいたので最後はやっぱりこっちの勝ちこれは俺の骨折りがとどいたというものぢゃ)

氏族・旧弊:(遊んでいてはたっきが立たぬゆえつい商法に手を出したがいつも損がしつずけで有り金はみんななくなしてしまい諸方からは借金の催促でいたたまらぬこれというもあまりに急激な改革で拙者たちを置いてきぼりにしたためさ)

酔漢:(わしもこれまではどうなることかと気をもんだが西郷さんが都にあがったとて江戸城あけわたしのときよりもおだやかだろうとのことじゃからもう心配はないさあさあ浮いた浮いた)

入水:(近衛卿が月照さんを保護してくれいと頼まれて「よろしゅうござる」とわしの命はなげだしていたのぢゃ。しかし法体のみでは剣に付すも如何と忍び遂に身投げと決したのだが今からおもうと一思いに剣を用いたほうがようごはした)

島の西郷:(生麦事件の意趣はらしに英吉利の軍艦が薩摩潟へ押し寄せたとかたとい獄破りの身となろうとも今はこうしちゃいられぬ土持さんみ国がためじゃ一肌ぬいでくださらんか歯がゆうて歯がゆうてたまらぬわい)

征韓論:(どうも見解が狭くていかん俺が大使となって韓国に行くからはもとより死は覚悟の上ぢゃが死中に活を求めるということもあるから死を覚悟したからとて心     死ぬとは限らぬ。韓国の後ろにはシナもあれば魯国もある俺が使節を無事に終えたら帰りには魯国をへまわって行く行く提携の約を結んで来るなりまあ朝鮮は魯国への橋渡しさ)

夢物語:(西郷その方の心中感心なものだ。王政復古の大業から続いて新兵の編制廃藩置県の断行兵制の大改革宮中の大粛清警察の創設と数えて来ると幾多の功臣中その方の勲功第一ぢゃ。それにさきごろ国に帰ってから急に心変わりしたとの噂。それはまことか。忝いみ言葉にありますれど微臣従来何の勲功とてもありませぬ。ただ有りがたき御恩に第一に報い奉らんがため聊か有為の人材を養成せんとて専念いたし居るのみにあります)

鎮撫:(永山、 辺、池上、別府,河野、逸見、まあまあ待たしゃれと言うに付田。諸 君の心中はよくわかり申した。なるほど政府が刺客を遣わしたかも知れぬがそれも猶良く調べた上でないと何とも言われん。それ この所で大事に及んではたとひ君側を清めんがための誉であっても錦旗に刃向う賊の名を免れる訳には行かぬ。みだりに逸って大義名分を誤っては取り返しがつかぬからここのところは俺に任してくだされ必ず諸君の気のなぎる様に取り計らい申す)

義挙:(こうなってはもう無事に収まる見込みはも無い。何事も天命ぢゃ。思うと通りにやんなはれ。「新政厚徳」戦のことは篠原と桐野に任せ申した。ただ恐れおおいのは錦の御旗ぢゃ。もし途中で出逢い申したら必ず慎んで避けて廻らっしゃれ成るも成らぬも時のうんぢゃ)

人の和:(甲斐甲斐しい婦人達のはたらきぢゃのう。夫と共に戦陣に立ちたいというのをなだめつすかしつ断れば兵糧焚き出しに必死になって戦地にも劣らぬはたらきよう。俺はなんといっておまはんたちを慰めてよいか知らぬ。我なから人の和が恐ろしく感じまするぞ)

城やま:(微臣隆盛つつしんで申す。さきに君側を清めんとして東上をはかりしところなくもこの度の大戦となり王師を悩ませすこと八ヶ月遂に微忱を奏上する機を得ず此に割腹はておはし奉る。冀はくは聖寿の万歳ましまさんことを。逸見さらばぢゃ。別府もうよか)

売卜者:(西郷さんどうもあなたには剣難の相がある。ぢっと構えていればどこからも付け入る隙はないが動き出すとあぶないあぶない。いっそこのまま剣をすてれば御身は安全ぢゃがそれもしるまいてな)

百姓:(旧幕の頃は斬捨て御免でわし等が身などは虫けらどうぜん。それがお陰をもちましていまでは立派な日本の百姓。若しわし等の命まで御用とあればいつでも喜んで差し上げまする)

寡婦:(申し申し西郷さま何てわたしが怨みましょう。夫も可愛い子もお役に立ちましたは何よりの仕合せ。死ぬる覚悟で親子もろとも水盃で出ましたぞえ。ならうことならわたしまでも戦のにわにと願えどもそれもならない女子のかなしさ) 

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■ 西郷隆盛妻腹中之図

読み:

 夫はあのとうりだんまりだから、いよいよというまで、わたしにはなにも意向を洩らさなかった。二月七日私たちが揃って食事をしているところへ大山さん篠原さん桐野さん別府さん等がどやどやとやって来て、とても穏やかに収まる見込みが無いと説いたので、最早やまにやまれぬはめと観念なさったらしい。したが明けても暮れても公事に心くだいていた夫。今度の事でもどんなおつもりか、わたくし達にはとんと心の底がわからない。前夜の寝言も「決して異心はござりませぬ」と繰り返し言っておいでなされたが、よっぽど思い余っての事とはみえる。
もうこうなっては何うとも仕方がないほどに、是非にかかわらず夫に従へといって出陣をすすめる人もあれば、聞くに恐ろしい賊軍とやらでは、み国に楯突くも同然、ああどうしたらこの身が立たう。ほんに思案にあまることぢやのう。
ああそうぢやそうぢや。人になんと云われようとも、夫の無きあとまで生存へて菊次郎や寅太郎や午次郎、酉三を生し立て、どうかしてみ国に御恩報じをしたいもの、それが夫に尽くす道、かねてみ国に報ずる道ぢゃ。いまおはかに夫の後に従えばとて、夫婦共賊よ敵よと謳われていつはるるとも知らぬ賊名の汚辱は永く消えることもないであろう。それよりは幼い子供たちをはぐくみ育て気長く世の遷り変わりおも見定めて、あつさみ仁慈にもし賊名のゆるされることもあらば、それを冥土の土産に夫をはじめ今度の騒ぎになくなった人たちにお知らせしよう。もう気をもまぬ。

この図は事に当たって、武家の妻の気高さや、意地がよく伝わってくる。大正時代はモガモボに代表される欧化の波が庶民に行き渡った時代で、過去の時代を懐かしみながら、西郷さんの妻女を称えている。

 

女隊:(さあさあうんと引きしめましょう、はようお出かけなさりませ。)

女隊:(誉に云う、女の念力であります。あなたの一心が定まったら如何なる陣もいちどは破れます。そのうえ女隊のたいしょうしっかりとはちまきさせました。御出陣     意が肝腎)

私玉:(これは女の玉なれば引張るにいくかと思いのほか、よっぽど骨がおれるわい。公のひもに負けてはならぬほどになんでも勉強がかんじんだ。逃げられぬようにしっかりとゆわえてでひとも、この玉をおい等がの方に引き寄せねばならぬ。しかし公のやつが大分強いからちっとも油断はならねえ。こっちに加勢するものはねえかな)

襟のところに歌が二首あり:(わがつまの いくみちならば ひとすじに 追わんとすれど 心まどいて朝に夕に 君と国との ためにぞと 心砕きし わがつまはやも)

考貞玉:(そんならどうでも御出陣なされますか。君と国とにささげた恩身が、こんなことになるというはどうした因果ととさま思い止って下されまし)

私玉:(早くお出なされ女隊さかんにはたらいていますぞ皆々あなたのおいでを待ちこがれて折ります)

私諫言:(かくなる上は是非もなし行くところまで行かりゃならぬとめたるは無用無用)

まぼろし:(薩摩の女隊が目ざましきはたらきをしている女子を戦場出す気づかいはあるまい。でも気がもめる)

私玉:(やあやあそんなら桐野をはじめみなみな討死せられしか。かくなり行くはかねての覚悟とはゆいながら賊名もはらさず残念なわいなあ)

恩愛:(ややまめでいやったが、こうゆうことになりゆきしもそなたはなんにも知らぬこと神仏を一心に念じてかならず命を保つ様にしや)

公玉私玉:(いまさら云うてもせんないこと。気をとりなおして人さんに卑怯者よとうしろ指されぬ様にしてくやれ)

公玉・悲嘆:(菊次郎のことは義理ある子どうか無事でと朝夕に念じていたら捕われてもそのままお免じになったとはうれしいことうれしいこと)

私玉・墓詣:(一たびは賊よ敵よと謳はれたが今は塚まできずいて下され誰も香華を手向けてくれます。どうやらこれで真心も天にとどいた様子。この分なら、やがて悪名も取り除かれて晴れて祭事も出来よう)というもの極楽往生南無阿弥陀仏

村田新八:(国内 内わのさわぎ)

別府晋介:(女史どもを戦場に出してはならぬと厳しいお達しゆえ何とも申されぬが若しおしかりもあらば、その時は晋介がよき様に取り計らいましょう。さあさあ御決断なさりませ)

公玉:(こんりんざい精をだしているにまたしても返りかける。どうゆう んでこうなるか知らん。よっぽど私が寄りいると見えるワイ。んとせーよいとなあ、もう一息だ、うんとせー)

逸見:(いかになるともこの上心を一致して飽くまで篭城あれ、御覧あれ。百姓共さえ兵糧の炊き出し手おい看護と日夜に暇なきにはげみぶり。天も知らさんわれらの直心いざいさぎよく防戦して主張の是非は後にせよ)

村田:(わしは一時皆々を惑わし人気をえらそうに寄せたけど、この頃ではなんともならぬ。夏のうちは扇ぐとこころようかたむいたが、だんだんと身もと寒うなって来た。うちわの で兵糧はつきてくるし、これではかなはぬ。新八の仕損じぢゃて)

淵邊高照:(待て待てかう模様が変わっちゃこまる。何だかこの頃は味方もあまり振るわないで、のっかかった船で是非はねえが、でも進むばかりがのうでもあるまい。もう会計もつづかないし、戦士もふじゅうばかりしている。これでは如何に天下無双の薩摩隼人も永続きはすまいて。はてさてどうしたものかのう
別府晋介:西郷を介錯した人物。西郷の蜜命を受け朝鮮半島の調査にはいる。私学校の設立に尽力。逸見十郎太:西郷と共に近衛将校を辞し鹿児島に帰り、私学校の幹部となる。西南の役では鬼神のごとく恐れられるが、城山で西郷の盾となり斬り死にした。村田新八:遣米欧使節団に加わり世界を見聞ス。人物は群を抜き西郷の無二の懐刀。政治家としての資質は、西郷、大久保の次の首班と目されていた。

 

平成16年7月27日
西郷南洲翁大畫集

解説 敬天愛人フォーラム21
世話役 白石 念舟

 

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